「ジビエト」ではジビエの普及拡大に向け、神奈川県産の鹿肉を使ったメニューを神奈川県内の飲食店で提供する取組を行なっています。
ジビエの利活用に積極的に取り組んでいる自治体は全国にありますが、神奈川県秦野市もその一つ。具体的にどのように取り組んでいるのかや、その成果などを、秦野市・高橋市長と、現場で利活用に取り組んでいる秦野市環境産業部農業振興課主事・笹原さんに取材しました。
昔は雑木林は人が管理していたので、獣は里山まで降りてこなかった
まずは、秦野市長・高橋昌和さんに話をうかがいました。秦野市に生まれ育った市長からご覧になって、昔と比べて人間と野生鳥獣との関係は変化しているとのこと。
「私が秦野に生まれ育ち、60年以上が経ちます。昔は、山と人の生活圏との間には、地元住民に管理された雑木林などがあり、野生鳥獣のすみかとの緩衝帯を担っていました。秦野は葉たばこ栽培が盛んで、冬になると『くずかき』と言って、雑木林の落ち葉を農家が集めて、葉たばこの苗床を作っていたんです。だから里山にも人が入り、獣も近づいて来ませんでした。けれど葉たばこ栽培は1984(昭和59)年に終了し、近年は農業の担い手不足や高齢化によって雑木林の管理が行き届かず、耕作放棄地も増えました。その結果、野生鳥獣が里山に下りてきて、人間との距離が近くなりました。ここ10年ほどは人里にも出てくるようになって、農作物への被害は看過できない状況です」
市が東西に長いため、食肉加工施設も3か所に分散
そうした状況を改善するために始めたのが、はだの都市農業支援センターの取り組みだそう。
「秦野市では農業被害防止のため、ニホンジカやイノシシを年間100~200頭、捕獲していますが、処分に係る手間や費用の負担が課題となっていました。そこで鳥獣問題を逆手にとって、秦野や丹沢で獲れたお肉を『秦野ジビエ』と名づけて、ブランド力を高めて提供していこうと考えたのです」
秦野市では美味しく提供するために、鳥獣の捕獲や処理についても独自の取組みを進めています。
「ジビエ肉を美味しく提供するためには、速やかに食肉処理加工施設に搬入して、処理することが大切です。秦野市は、市域が東西に広いことから、捕獲された鳥獣を速やかに処理し、新鮮なジビエ肉を提供するため、近隣市町の伊勢原市の『阿夫利山荘』や松田町の『しおやジビエ処理場』など、食肉加工の拠点となる3つの施設と契約を結び、東で獲れたものは伊勢原市に、西で獲れたものは松田町に運ぶなど少しでも速く加工できるように工夫しています」
市長もお気に入りのジビエキーマカレー、イタリアンや日本そばも
こうして処理された肉は、市内の飲食店12店舗、小売店3店舗などで提供しており、秦野商工会議所観光飲食部会が「秦野ジビエ・ナビ」という小冊子を発行してPRしています。市長もすすんで秦野ジビエを味わっていらっしゃるとのこと。
「私は、けっこう制覇しているんですよ(笑)。イノシシの肉を使ったメンチカツが入った『ジビエキーマカレー』(白髭食堂)がお気に入りです。キーマカレーはシカ、メンチカツはイノシシで、一皿で2種類のジビエが味わえるんです。『手打ちのタリアテッレの丹沢鹿のラグーソース』(トラットリア フーコ)や『丹沢もみじせいろ』(手打そば さか間)も美味しかったですし、『秦野鹿肉麻婆豆腐』(北京館)もピリ辛で美味しかったですね。今度は『鹿肉のチンジャオロース』(チャイナガーデン)も食べてみたいと思っています。ジビエと聞くと、『獣臭い』イメージがあるかと思いますが、牛乳や水などでつけ置きして、臭いを消しているので、美味しくいただけました。秦野市は環境省の名水百選選抜総選挙で1位に輝いていることもあり、秦野や丹沢の山々で育った獣たちは美味しい水を飲んで、高タンパクで低カロリー、脂質が少なく、ミネラルや鉄分などを豊富に含んでいるので、様々な料理にアレンジが可能だと聞いています」
そもそも秦野市では昔から、イノシシを食べる文化があったそうです。
「秦野市には、130年以上の歴史を持つ『鶴巻温泉』があり、この地域の温泉旅館では、古くからイノシシの肉を使った『しし鍋』が名物料理でした。昔と比べて『しし鍋』を味わえる旅館は減ってきていますが、地域が一体となって『ジビエが食べられる街・鶴巻温泉』というテーマを掲げ、温泉旅館、洋食屋、居酒屋など、様々なジャンルの店舗がそれぞれ個性豊かなジビエ料理を提供しています。『しし鍋』はイノシシ肉のすき焼きみたいな感じですね。クジラの肉みたいで、非常に美味しいですよ。我々の家でも昔、イノシシ肉を猟師さんから分けてもらった時は『しし鍋』にして食べましたけど、その日はごちそうでしたね」
レトルト商品で市外にも秦野ジビエをアピール
最後に、秦野市でのジビエに関する、その他の取り組みや今後の展望をお話しいただきました。
「市最大のイベントである秦野たばこ祭では、ジビエブースを設けて飲食店がジビエ料理を提供したり、小学校での出張授業や、イベント展示での啓発活動なども行っています。野生鳥獣の存在を『マイナス』から『プラス』に変え、捕獲した動物たちの命を無駄にせず、秦野ジビエの振興を進めていきたいと考えています。アンケートでも『おいしい』『また食べたい』など好評で、『もっと身近に手に取れる場所で販売してほしい』という要望も聞かれます。市内の事業者が開発しているレトルト食品はかなり美味しくて、私は大好きですね。家に買い置きがしてあって、家族が誰もいない時は、ご飯さえあれば食べられるので重宝しています(笑)。家庭で利用できるので、秦野ジビエを広めていけるきっかけになりますよね。今は『イノシシ肉のキーマカレー(赤ワイン風味)』(川上商会)と『秦野鹿肉麻婆豆腐』(北京館)の2種類だけですが、もう少し増えて、ずらっと並べて売り出せたら、『秦野ジビエ』を市外にPRすることができ、秦野市の魅力を発信する起爆剤の一つとなり得るのではないかと思っています。官民一体となって、秦野のジビエ料理を発信していきたいですね。秦野市は2022年に新東名高速道路が開通し、交通利便性も高くなりました。ぜひ多くの方に、美味しいジビエ料理が食べられる街・秦野にいらしていただきたいと思います。みなさんのお越しをお待ちしています」
大きな負担だった焼却費用などが軽減できるように
現場での取り組みについて、秦野市環境産業部農業振興課主事・笹原優登さんにお話をうかがいました。
具体的に鳥獣が捕獲されると、どのような流れで対応されているのでしょうか?
「捕獲の方法としては猟友会のメンバーが猟で捕獲する、農家が設置した罠にかかる、市が設置した罠にかかる、の3パターンに分かれます。
野生のシカやイノシシが捕獲されるとはだの都市農業支援センターに連絡が入る。
猟友会のメンバーに連絡し、止め刺し(殺処分)と血抜きをしてもらう。
はだの都市農業支援センターの職員が、契約している食肉処理加工施設に運搬する。
という流れです。止め刺しをしてから1時間以内に施設に運ぶことを目途にしていて、平均すると2日に1度くらいは捕獲があり、私たち職員も交代で、事務仕事をいったん置いて、大急ぎで運び込むようにしています。最も近い施設が一杯の時は次に近い施設に運んだり、土日などセンターが休みの時は、猟友会の方が直接施設へ搬入するなどして、なるべく新鮮なうちに食肉処理ができるよう努力しています。食肉処理加工施設では、鳥獣にマダニなどがついているため、毛皮や運んできた桶の洗浄には気を使います。内臓を傷つけて肉が汚染されると食肉として提供できなくなってしまうため、慎重な処理も必要で、熟練した職人たちが短時間で着実に精肉処理を施しています」
このようなシステムを構築して、費用面や経済面でも大幅に改善されているそうです。
「令和5年度の4~12月の捕獲実態は、シカが175頭捕獲したうち90頭を食肉として活用、イノシシは44頭中6頭を活用できており(イノシシは豚熱が流行したため活用は少なめ)、シカについては50%強が活用できています。令和3年以前は、獲れた獣肉は猟友会の方が自家消費するか、焼却処分をしていました。しかし、動物霊園で焼却してもらうには1頭約1万4千円かかり、その費用は市が負担していましたが、食肉加工施設での解体処理費用は1頭3千円(一部は5千円)なので、焼却費用よりもはるかに安く、肉を販売した利益も上がるため、費用面や経済面でも大幅に改善されています」
一市三町の協力体制でジビエの安定供給を
ジビエの人気が高まっていくと、供給が間に合うかという問題も出てきます。はだの都市農業支援センターではバランスを取りながら供給を続ける体制を整えているそう。
「市でも罠を設置していますが、鳥獣は生息場所を移動していきますので、獣道などに定期的に罠を移設し、設置することが効率的な捕獲方法と言えます。また、野生鳥獣と共生していく意識も必要で、捕獲のバランスを取りながら安定的に供給することが必要です。そうした状況の中で、一市三町広域行政連絡協議会では、秦野市、中井町、大井町、松田町の一市三町で、互いに在庫が足りない時にはジビエ肉を供給し合う体制の構築を検討しており、この取組みを行うことで以前より安定供給ができるようになると見込んでいます。秦野は登山に来るハイカーの方が多く、ジビエに関心の高い方も多いので、ぜひ登山がてら秦野ジビエも味わっていただきたいと思います」
電車でも新宿からわずか1時間の距離にあるため、秦野ジビエはますます盛り上がっていきそうな予感があります。ジビエ好きの方はぜひ、「秦野ジビエ・ナビ」を片手に市内を食べ歩き、鶴巻温泉でしし鍋を味わいながら体も休めるという、至福の1日を過ごしてみてはいかがでしょうか?